遺書と恋文

頭痛腹痛毘沙門天

えーえんとくちから

リストからの一冊。この歌集の著者である笹井宏之氏は26歳という若さで亡くなった。しかし没後も生前と変わらず評価され続けている。歌集「えーえんとくちから」もいまだ褪せないで繊細な感性を31字に与えた。

愛します 眼鏡 くつひも ネクターの桃味 死んだあとのくるぶし

あなたを構成するもの。それらすべてを愛したい。読書するときにだけかける眼鏡も、ほどけかけたくつひもも、桃味のジュースも、愛したい。死後のくるぶしもすべてがあなた。わたしは、あなたのすべてを、愛します。たとえそれが間違った選択の先にある愛かもしれなくても、あなたが望むなら。わたしは、あなたのすべてを、愛します。

暮れなずむホームをふたりぽろぽろと音符のように歩きましたね

ぽろぽろというオノマトペを、すこし心もとなくてしずかな場所が映るこのシーンに使ったことで、足元の脆弱さや不規則にゆれる幽霊のような足取りが伺える。暮れなずむホームを歩くのはセーラー服を着た女の子がふたり、手をつないでいるかもしれない。でも彼女たちにはいつかの未来は来ないだろう。そしてそんな福音のきこえない未来を、ふたりはそれぞれに歩いていかなければならない。こころの揺れかたを繊細に切り取った、いや舞台に溶け込んだ、とてもきれいな歌。もしかすると笹井宏之氏の歌のなかで一番すきと言えるかもしれない。

半袖のシャツ夏オペラグラスからみえるすべてのものに拍手を

オペラグラスを使わないと見えなくなってしまったものたち。半袖のシャツ。夏。水飲み場。塩素の匂い。あなた。そのたおやかなうつくしさ、つよさはもう自分にないものばかりで。もうそこは自分のいる場所じゃないと分かりながらもオペラグラスを取り出すときの気持ちはどんなものだろう。舞台へ拍手を送る。もう遠く遠くに取り残してきてしまったものたちへ。

戦争が優しい雨に変わったらあなたのそばで爪を切りたい

戦争で人が人を傷付けることばかりを繰り返し、そうやって過ごす毎日に浴びる焼夷弾。黒い雨がいつかやさしい雨になりますように。そのときはどうかあなたのそばにいたい。爪を切るという何でもないことを、何でもないわけじゃないんだよ、と、あなたのそばでしたいのだ。

切れやすい糸で結んでおきましょういつかくるさよならのために

いつでもかんたんに離れられるように。いつでも離してあげられるように。離してもらえるように。あなたのくすりゆびに赤い糸が見えるね。その先につながる自分のゆびをじっと見てみる。しあわせだ。しあわせなんだよ。でもいつかここで終わらせないといけない物語。あなたとの日々を終わらせないといけない物語。

笹井宏之の歌集「てんとろり」もこの歌集と同じく、ちいさなちいさな宝石が散らばってそこに天の川ができているような歌たちがそこかしこに見える。ときに雨がやんだときの静寂、ときにだれかに電話がしたくなる深夜の静寂。その影がふちどった歌にある奥行きが僕たちを惹きつける。