遺書と恋文

頭痛腹痛毘沙門天

ねえ今、あなたに顔向けできることができたら

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女王蜂/緊急事態

このひとりよがりのブログで文字に起こすことで、何かしらの落としどころ・決着をつけるしかないと思い筆を執る。これを書き終えるときには、自分の気持ちにケリをつけてあたらしく一歩を踏み出せますように。

 

学生時代、一方的に好意を寄せた同性の後輩Nに振られてから7年と少し経って、そのあいだ僕はいろんな人に恋をした。過ぎる歳月のおかげで気付けばあの子は過去になった。

親友の口から、後輩Nと結婚するという報告を聞くまでは。

もういまさら後輩Nとどうなりたいだとか、あれがしたいこれがしたい、そういうものは一切ない。僕じゃしあわせにできないけど、どこかでしあわせになっているといいな、なんてことを何かの折に思うだけ。

だからその恋は僕のなかではもう過去なのだ。もう未練はない。

ところが因果応報・自業自得とはいえ、親友を失うことになった。親友を、たったひとりの親友を、性別を超えた親友を、あんなに打ち解けられる人はもうこれからいないだろう親友を、ときに叱ってくれときに背中を押してくれる親友を、失うことになった。

親友の話では僕は後輩Nに憎まれているらしい。理由は後述するとして、「まだ連絡先が残っていたとしてもおめでとうだとかは送らないほうがいい」と言われた。

あのころは馬鹿だった。幼稚だった。後輩Nへの恋に破れた当時の僕はひどく無神経で利己的で身勝手にも彼女の恋路を邪魔し続けた。そうすることでせめて憎悪や怨恨という感情で構わないから僕を見てくれと、人生のどこかに置いてくれとすがって。

我ながらこじらせた想いはこんなにも人を醜くするものかと驚いた。怖かった。その感情ははっさと僕自身のもとを離れ、みるみる膨らんだ。それでもどうしようもなかったし、どうしたら良いのかも分からなかった。

「ごめん、もうこれからは会えないし、連絡も難しくなる」

それから親友は続けた。Nが嫌がることはしたくないからと。僕は改めて過去の自分を恥じた。あれだけ泣かせた。好きな子を泣かせるような人間が人をしあわせにできるわけがない。

今まで後輩Nにとって親友は彼氏だったからある程度目を瞑っていただけで、しかしそれが夫となれば話は変わる。僕の存在がそもそも脅威なのだ。また奪われかねないと。むしろ今まで目を瞑ってもらえていたのが不思議なくらいだった。

親友との交流を断つ。それが彼女にとってのしあわせに必要なことで、もう償いきれないとはいえせめてもの贖いにと、僕は親友の前から消える決心をした。傷付くなんてお門違いだと言い聞かせて。

これからも彼女はたくさんのものを見て、たくさんのことを知って、たくさんの人と出会っていくだろう。そしていつか僕を忘れるんだ。恨むことさえしてもらえず。彼氏と、夫と歩いていく彼女の未来に僕はいない。でも僕だって進まなきゃ、自分自身のの未来へ。

今までありがとう、親友。

あなたが好きだったよ、N。

おめでとう。あなたたちに幸多からんことを。

 

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生きるも地獄、死ぬも地獄 1/2

初めて自殺死体を見たのは中学生のとき。同じピアノ教室に通っていた20代の男性だった。

2007年から2010年ごろにかけ、「簡単に、楽に死ねる」「絶対確実」「きれいな姿で遺体が残る」と甘い言葉を謳った書き込みがネットにあふれ、硫化水素自殺が流行った。死に方の手段として縊死、いわゆる首吊りは依然トップだが、この流行を契機にメジャーな方法という扱いになった。

この手段に関しての詳細は書きたくないので省くが、雑に言えば「混ぜるな危険」をすることで人体に有毒なガスを発生させ、窒息死する方法。場合によっては家族や近隣住民までをも巻き込むなんともタチの悪い自殺方法だ。

その件数から社会問題にまで発展。書き込みに「必要な道具」として挙げられたとある入浴剤は生産が中止になった。そのくらい流行したことが伺える。さらに言えば、その生産中止になった入浴剤の代替を追求する姿勢にはある種、一周回ってすごいとさえ思わせられる。やはり日本は「自殺大国」。異常だ。

(不適切な表現かもしれないが)ブームから10年以上経つ今。最近だと2020年に、木村花さんというプロレスラーがバラエティ番組に出演した際にネットでひどい誹謗中傷を受け、それを苦に硫化水素自殺をしたことが報道された。

読み手にとってはつまらないだろうけれど、結論だけを言えば冒頭の男性とは後述する「お兄さん」のことだ。

お兄さんとはそのピアノ教室で知り合った。個人授業とはいえ、自分のレッスンの前後に来る人・いた人とは先生を挟みながらちょっとした雑談をするのは珍しいことではなく。

「今はこれが課題曲」「音痴だからソルフェージュが苦手」「合唱のときは伴奏になっちゃえば歌わなくて済むから気が楽」

お兄さんとはだいたいのレッスンで前後になるので、そういった話をした。これといって面白い話でもないのにうんうん、と、丁寧に相槌をうってくれた。

そうやりとりしていくうち、「大人の人の家」へ遊びに行くことが何度かあった。

蛇足だがおそらく彼は小児性愛者だった。今思えば、だけど。僕と2人だけのときは堂々としてるのに、大人を前にすると途端におどおどした。まあ、結果論だけで言うとさいわい実害らしい実害はなく、せいぜい「怖い」と思わせない程度の身体的な接触があったくらい。当時理解できなかった猥語をつかうこともあったが。だからと言って今思うことは特にない。

ただ、お兄さんの部屋に行っていることはなぜか母に言えなかった。怒られるから?心配されるから?そうなるともう遊びに行くことができなくなるから?いくらでも理由は思いつくけど、そのどれもちがう気がした。

そしてある日、お兄さんはこれから先僕がいくら年齢を重ねてももう会えなくなってしまった。

生きるも地獄、死ぬも地獄 2/2

いつも通りレッスンがあった日の2日後にお兄さんのアパートへ訪れた。するとドアに張り紙がある。

「有毒ガス発生中」

A4用紙に赤いボールペンで、今まで見てきたお兄さんの字にしては大きく書かれた文字列。なに?なんのこと?ガス?

のちのち知ったが、この張り紙はネットに出回った書き込みに用意するものと同じく、やっておくこととして、玄関に「硫化水素発生中」の張り紙をするように書いてあった。

お兄さんはセキュリティがあやふやで、玄関の鍵をかけないことはよくあった。そのときも施錠されていなかった。部屋の中で何が起きているかが分からない。こわくて、不安で、だからこそむしろ部屋に飛び込んだ。

(なにこのにおい。でも嗅いだことある)

卵の腐ったようなにおい(腐卵臭)が部屋にこもっていた。嗅いだことがあるのは硫黄の入浴剤を使ったことがあるからだ。ドア越しには臭いが漏れなかったのか、それとも張り紙のことで頭がいっぱいだから気付かなかったのか。

奥まっていく形のワンルームには玄関からより臭気を増していてる。ガムテープ?養生テープ?でユニットバスの扉に目張りがしてあった。

気持ちばかりが逸った。バスルームではお兄さんが仰向けで横たわっていた。

どうしたの!顔を覗き込むとお兄さんの目は見開いていて、すごい形相で歯を食いしばっていた。時間経過のせいなのか、はたまたガスによるものなのか、少なくともヒトの皮膚の色とは思えなかった。ホラー映画のゾンビのほうがよっぽどヒトに近い。

だれか、だれか、だれか。分からない。助けて。お兄さんはどうしちゃったの。何が起きたの?お兄さんは死んでるの?

結局同じアパートの住人に

「〇〇さんの部屋からへんな臭いがします」「バスルームに目張りがされていました」「倒れています」「玄関に有毒ガスっていう張り紙がありました」

と縋った。縋るしかなかった。あれほど硫化水素自殺が多発していたのだから、その住人は「まさか…」と思ったのだろう。いっぽうで僕は現状を伝える言葉がスラスラと出て、不思議なことに落ち着いていられた。しかし残念ながら僕の記憶はそこまで。読み手からしたらつまらないだろう終わり方だろうが…

不幸中のさいわいに、第一発見者の僕は何事もなく無事だった。近隣の住民らもすぐ避難し、大事に至ることはなかった。

そのあとのできごと——避難やら防護服の救助隊の規模など——は、記憶だの何だのが理由ではなく、単に知ることがなく、何もわからないまま。しばらくカウンセリング?みたいなものに通ったらしい。「らしい」というのは、現場やそのあとしばらくのことのみならず、そのころの記憶があいまいだから。でもそれが正しいのだろうと思う。あいまいなままで良い。

硫化水素自殺に救済はない。

苦しくない?

お兄さんの歯を食いしばった形相が苦しんで逝った凄惨な最期だったことを語っていた。窒息死するまでのお兄さんのことはできれば考えたくない。それでもあのときの表情は、いくら記憶があいまいであったとて、多分今後いつまでも忘れられないと思う。

きれいな死に方ができる?

人間の肌としてあり得ない、惨たらしく変色した死体をうつくしいと思えるだろうか。また、企てた本人の問題だけではなく家族や他人を巻き込み、最悪の場合その人たちの命までをも奪う行為は、到底うつくしいとは思えない。

確実な方法?

どうしてそんなことが分かるのだろう。それをした人々は死んでしまったというのに。失敗して後遺症とこれから生きることになってしまった人たちにはスポットライトを当てず、完遂と未遂、それを相対的に見ていないからだと僕は思っている。所詮は素人が発生させた硫化水素で、易々と完遂できるのだろうか?そもそも確実な方法なんてない。5mほどの高さから落ちて死ぬこともあれば、鉄道に飛び込んだって四肢の欠損を抱えるという最悪の事態にしか終わらないことなんてザラにある。かくいう自分もそうだったわけで、結局は運。運なのだ。

死人に口なし。お兄さんの最期はお兄さんにしかわからない。そしてだれにもお兄さんの死を否定する資格はない。

ふと思う。もしかしたら、あのお兄さんはいつか来る日の僕なのかもしれないね。「救済はない」と言い切ったものの、何年後、何十年後、絶対に絶対に絶対にそれをしないなんてことは僕には分からない。生まれ変わりがあるかも分からない。もしあるとしてもヒトではないかもしれない。でも、どんな形でもいいから来世では、どうかしあわせでありますように。お兄さんもそうでありますように。

短歌を始めた友人の話

「短歌をつくってみたくて…」

友人Nくんが短歌を始めた。それまで創作活動をしたことがなかった彼は短歌というかたちで言葉の当事者になった。

短歌を詠みたいと言われたときには小躍りした。だって、何冊も歌集を読んできた彼がついに「自分も」となったんだから(別に短歌を読むことの行き着く先が自身で詠むことではないというのは断っておく)。どこか僕の「好き」が伝わったような気がした。

僕はNくんの短歌がすっかり好きになった。「あまり自信ないけれど…」と読ませてくれる彼の作品は青い高校生の時分に戻らせてくれた。あのころにしか分からなかったこと、今では取り戻すことができないこと。やさしい気持ちになれたりたまに昔の痛みを思い出したり…彼自身だけどそうじゃない、でも彼自身が歌のなかで動いているから「生きた作品」になるのかな。ストーリーがあって、けれど映画や小説ではない、もっとそばにある物語。本当はNくんの歌を紹介したいところだけど…

もしかしたらNくんがこの記事を読むかもしれないけれど言ってしまおう。彼の作品を読みながら正直ぽつんと取り残されるような、そんな気持ちになることもある。分かっている。それはきっと嫉妬とそこから来る焦燥感だ。だからNくんから「添削してほしい」と推敲を求められると本当に僕なんかがそんなことをしていいのだろうか?せっかくの作品を崩してしまわないだろうか?としょっちゅう申し訳なくなる。

でも僕は自分の短歌が好きだし、"僕なんか"と卑屈になるのとは別として歌は否定しない。拙いことは分かっていても今の自分がのこせるたったひとつの手段だから。

きっと彼は引き返せない。どうかなと勧めたり歌集を貸したりしたのは僕だけど、自分で歌を詠もうと決めたのはNくん。すてきな作品をこの今もつくり続けているのも。

ねえNくん。たとえそこに救いがなくとも、いつか傷付くことがあっても、あなたはもう引き返せないんだよ。手放すことはできないし逃げることもできない。ようこそ終わりのないトンネルへ。

滑走路

「生きているというより生き抜いている こころに雨の記憶を抱いて」


映画にもなった歌集「滑走路」。歌人、萩原慎一郎氏は32歳の若さで自ら命を絶った。中・高生の6年間いじめを受け、精神的な不調を抱えながら非正規での雇用。短歌に希望を見出したが、この歌集が彼の遺作となってしまった。

家にいるだけではだめだぼくたちは芭蕉のように旅人になれ

外へ、町へ、あの人のいる場所へ。家や部屋から出なければ見えないものはたくさんある。気付くこと。拾うもの。捨てるもの。救って救われて、僕らは生きている。そこにあるのは思い出、空気、匂い、言葉、空の色。ところで、書を捨てよ、町へ出ようという寺山修司による有名な作品があるが、書は捨てずに持っていこうよ、なんて、たまに思ってみたりもする。

真夜中の暗い部屋からこころからきみはもう一度走り出せばいい

閉ざしてしまったこころ。塞いでしまったのだろうか、傷付いてしまったのだろうか、はたまた壊してしまったのだろうか。それは自分のことかもしれないし、たいせつなひとのことかもしれない。でも諦めないでほしいという詠み人からのエール。諦めないで。止まらないで。ときに転ぶことがあったって、それでもあなたはどこへだって行けるんだからというエール。

叩け、叩け、吾がキーボード。放り出せ、悲しみ全部。放り出せ、歌。

あれでない、これでもないと彷徨える言葉探しの旅だ。歌作は

思いつくたびに紙片に書きつける言葉よ羽化の直前であれ

短歌を詠むというのはとても苦しい。それは同じく短歌をつくる僕も身をもってわかっている。ときに痛みを感じ、ときに気持ちがねじれてしまって。足がすくむことだってある。それでもやめられない。僕はその思いや傷を否定しないし、したくない。できない。それこそ身をもってわかっているから。その先にある言葉の海に、そして飛び立つ歌に、どうしたって期待を孕んでしまうことを知っているから。

かっこいいところをきみにみせたくて雪道をゆく掲載誌手に

かっこよくなりたいきみに愛されるようになりたいだから歌詠む

自分の武器は短歌だと胸を張って言わんばかりの歌たち。僕だってそう、その通りなのだ。想っている人の目に留まるようできることはひたすら歌を詠むこと。早く届けたい気持ちをやさしくやわらかくつつみ、胸の高鳴りを、興奮を、自身の気持ちが武器となったそれを形として載っている掲載誌を抱えて進む。雪道をざくざくざく、と歩いていくときのこころ。どうか愛されるために。格好良いと思われたいと、その一心で詠む。ねえ、あなたはどんな顔で僕を見つめてくれる?

叶わないことだが、10年後、20年後、どんな歌になっていくのだろうか読みたいと思えた歌集だった。

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コンビニに生まれかわってしまっても

西村曜氏の歌集「コンビニに生まれかわってしまっても」より。まず氏のプロフィールを読んで驚いた。1990年生まれという若さでこれらの作品群が詠めるのかと。いや、だからこそ瑞々しく生命力のある歌がつくれるのかもしれない。

向き合わねばならぬ痛みと知りながら逃げるかたちの玄関の靴

「向き合わねばならぬ痛み」の力強さに熱量と鋭さを感じた。そろえられた靴は玄関のほうを向いている。どこまで逃げられるだろう。しかしどこかで分かってる。この痛みからはいつまでも逃げられるわけじゃない。いつか向き合わないといけないと。でも今は、今だけは、「逃げるかたち」になっているこの靴で走れるところまでゆるされるところまで、走っていきたい。それがいつか自分の首を真綿でしめることになるとしても。

ときおりは触れ合う手と手 繋いだらなんて名の付く僕たちだろう

たまに手と手が触れる関係の男女。でもそれだけ。手が触れ合ったと、それだけ。どちらかが恋心や下心を持ってしまえば、もしくは隠していたそういった気持ちを迂闊に晒してしまえば、あっけなく失ってしまうだろうふたりの不安定さ。僕の価値観だが、友情を愛情にしてしまう選択の何と残念なことか。お互いがお互いを恋人にしてしまうことを怖がっている。

つけられた跡をわざわざ「痕」と書くここがわたしのきみへのすべて

つけられた跡。「きみ」がつけたキスマークだろうか。内出血の跡はすぐに消えてしまう。でも痕は?痕というのは治癒したあとも残るものにつかう。裂いてもいい、切ってもいい。跡では駄目なのだ。痕じゃないと。どうか「わたし」に「きみ」からの残る傷がほしいと願った。「きみへのすべて」にしたいから。

この歌たちの前ではさようならという言葉さえ命になる。印象的な言葉で戦う姿はうつくしい。

「短歌に興味がある。自分も詠んでみたい」

この数週間のあいだの話だ。偶然、一気に3人のフォロワーから相談された。

その相談を受け、とてもうれしかった。もっといろんな人に現代短歌の魅力を知ってほしいと常々思っていたので、布教のチャンスだと思った。

3人のうちの1人、Yくんは俳人などではなく、そもそも創作活動をしたことがないらしかった。だから僕に尋ねた。「どこから始めたらいい?」

わくわくしながら、どうすれば短歌の楽しさが伝わるだろうかと考えてみた。以下をメモのつもりで残しておこうと思う。今後も何かしらで使えるかもしれないので。

 

  • そもそも短歌とは
  1. 57577の31字でなる定型詩
  2. 季語は必要ない
  3. 俳句が一句、二句、と数えるのに対し短歌は一首、二首、と数える
  • 歌集は最低でも2冊、読んでみること

というのは、まず短歌はハードルが高いものではないと知ってほしいから。現代短歌は口語的だ。話し言葉やメールでの言葉遣いが主流。写実的なものより心象風景が多いこともまた特徴だ。和歌のような修辞法は必要ない。歴史的仮名遣いである必要もない。

だから構えないで、まず2冊気になった歌集を読んでみて、「こんなのも短歌なんだ」と現代短歌に触れてみることから始めてほしい。ちなみに2冊というのは、1冊めで「うーんあんまり…」と感じてしまい、やっぱり向いてない、とやめてしまうのはもったいないから。1冊でやめてしまわず次に読んだ2冊めがあなたにとって琴線にふれる歌集かもしれない。

以下は、まずどこから読んでみようかと迷っている人に勧めたい歌集。短歌に持っているイメージが変わるはずだ。

遠くから来る自転車をさがしてた 春の陽、瞳、まぶしい、どなた

これは僕が初めて手にした歌集。2人の歌人による往復書簡で、春に出会い春におたがいを失った男女の物語が広がっていく。全部を通してひとつの作品。

「元気です」そう書いてみて無理してる自分がいやでつけくけくわえた「か?」

枡野浩一氏は歌人でありコピーライターでもある。そのためか歌のひとつひとつがするどい。絶版により価格が高騰してしまっているが、同じく枡野浩一氏の歌集「てのりくじら」「ドレミふぁんくしょんドロップ」は安価で手に入る。ドラえもんというキャラクターや話を進行していくうえで必須になる便利道具を詠んだ「ドラえもん短歌」も入門編として手に取りやすいはず。

  • 七五調に慣れること

破調が好きだ、破調で詠みたい、という人ももちろんいるだろうけれど、詠み始めてからの100首200首のうちは定型で詠んでほしい。

七五調に慣れることでだんだんリズムが身につきはじめこそ一音一音を指折り数えていても、いずれ途切れ途切れに数えずともすとんと自然に七五調になっていくから。

いつもより一分早く駅に着く 一分君のこと考える

日が陰る校舎の隅に響いてた和声の中に君を探した

定型の歌集として勧めたい2冊。オーソドックスな七五調に慣れさせるのに向いていると思う。サラダ記念日は有名だが、俵万智氏の歌は意外にも定型。「タルト・タタンと炭酸水」もまたきれいな定型なので、そういう歌集を読んで七五調を感覚に叩き込んでほしい。

  • 日々の生活を送るなかでこころが動いたときのことについてメモをしておく

春めいた風のにおいがしたとき。非常階段から見えた景色。傷付いていると気付いたきっかけ。

なんだって良い。なぜこころが動いたんだろうと考えたときに出てきた言葉、モチーフ、何なら色や音でも。メモを取っておこう。

ただ、すぐにそれを短歌にはしない。すこし寝かせて後日そのメモを見たときの感情を歌にする。もちろんメモに残すにあたって思いついた七五調を書いておいても良い。

  • ひたすら詠む

そのままの意味。ひたすら読んで、ひたすら詠む。まずは技法にはこだわらなくていい。オノマトペ、リフレイン、枕詞に本歌取り。さまざまな技法があるが、最初のうちは「七五調」と「定型」であることだけに気を付けて詠む。形になってきたらそこでようやくそれをたたき台にして添削・推敲をしていく。土台になる歌がないと始まらないのでとにかく詠んでほしい。

 

また追加することがあるかもしれないので随時書いていこうと思います。