遺書と恋文

頭痛腹痛毘沙門天

生きるも地獄、死ぬも地獄 1/2

初めて自殺死体を見たのは中学生のとき。同じピアノ教室に通っていた20代の男性だった。

2007年から2010年ごろにかけ、「簡単に、楽に死ねる」「絶対確実」「きれいな姿で遺体が残る」と甘い言葉を謳った書き込みがネットにあふれ、硫化水素自殺が流行った。死に方の手段として縊死、いわゆる首吊りは依然トップだが、この流行を契機にメジャーな方法という扱いになった。

この手段に関しての詳細は書きたくないので省くが、雑に言えば「混ぜるな危険」をすることで人体に有毒なガスを発生させ、窒息死する方法。場合によっては家族や近隣住民までをも巻き込むなんともタチの悪い自殺方法だ。

その件数から社会問題にまで発展。書き込みに「必要な道具」として挙げられたとある入浴剤は生産が中止になった。そのくらい流行したことが伺える。さらに言えば、その生産中止になった入浴剤の代替を追求する姿勢にはある種、一周回ってすごいとさえ思わせられる。やはり日本は「自殺大国」。異常だ。

(不適切な表現かもしれないが)ブームから10年以上経つ今。最近だと2020年に、木村花さんというプロレスラーがバラエティ番組に出演した際にネットでひどい誹謗中傷を受け、それを苦に硫化水素自殺をしたことが報道された。

読み手にとってはつまらないだろうけれど、結論だけを言えば冒頭の男性とは後述する「お兄さん」のことだ。

お兄さんとはそのピアノ教室で知り合った。個人授業とはいえ、自分のレッスンの前後に来る人・いた人とは先生を挟みながらちょっとした雑談をするのは珍しいことではなく。

「今はこれが課題曲」「音痴だからソルフェージュが苦手」「合唱のときは伴奏になっちゃえば歌わなくて済むから気が楽」

お兄さんとはだいたいのレッスンで前後になるので、そういった話をした。これといって面白い話でもないのにうんうん、と、丁寧に相槌をうってくれた。

そうやりとりしていくうち、「大人の人の家」へ遊びに行くことが何度かあった。

蛇足だがおそらく彼は小児性愛者だった。今思えば、だけど。僕と2人だけのときは堂々としてるのに、大人を前にすると途端におどおどした。まあ、結果論だけで言うとさいわい実害らしい実害はなく、せいぜい「怖い」と思わせない程度の身体的な接触があったくらい。当時理解できなかった猥語をつかうこともあったが。だからと言って今思うことは特にない。

ただ、お兄さんの部屋に行っていることはなぜか母に言えなかった。怒られるから?心配されるから?そうなるともう遊びに行くことができなくなるから?いくらでも理由は思いつくけど、そのどれもちがう気がした。

そしてある日、お兄さんはこれから先僕がいくら年齢を重ねてももう会えなくなってしまった。