遺書と恋文

頭痛腹痛毘沙門天

生きるも地獄、死ぬも地獄 2/2

いつも通りレッスンがあった日の2日後にお兄さんのアパートへ訪れた。するとドアに張り紙がある。

「有毒ガス発生中」

A4用紙に赤いボールペンで、今まで見てきたお兄さんの字にしては大きく書かれた文字列。なに?なんのこと?ガス?

のちのち知ったが、この張り紙はネットに出回った書き込みに用意するものと同じく、やっておくこととして、玄関に「硫化水素発生中」の張り紙をするように書いてあった。

お兄さんはセキュリティがあやふやで、玄関の鍵をかけないことはよくあった。そのときも施錠されていなかった。部屋の中で何が起きているかが分からない。こわくて、不安で、だからこそむしろ部屋に飛び込んだ。

(なにこのにおい。でも嗅いだことある)

卵の腐ったようなにおい(腐卵臭)が部屋にこもっていた。嗅いだことがあるのは硫黄の入浴剤を使ったことがあるからだ。ドア越しには臭いが漏れなかったのか、それとも張り紙のことで頭がいっぱいだから気付かなかったのか。

奥まっていく形のワンルームには玄関からより臭気を増していてる。ガムテープ?養生テープ?でユニットバスの扉に目張りがしてあった。

気持ちばかりが逸った。バスルームではお兄さんが仰向けで横たわっていた。

どうしたの!顔を覗き込むとお兄さんの目は見開いていて、すごい形相で歯を食いしばっていた。時間経過のせいなのか、はたまたガスによるものなのか、少なくともヒトの皮膚の色とは思えなかった。ホラー映画のゾンビのほうがよっぽどヒトに近い。

だれか、だれか、だれか。分からない。助けて。お兄さんはどうしちゃったの。何が起きたの?お兄さんは死んでるの?

結局同じアパートの住人に

「〇〇さんの部屋からへんな臭いがします」「バスルームに目張りがされていました」「倒れています」「玄関に有毒ガスっていう張り紙がありました」

と縋った。縋るしかなかった。あれほど硫化水素自殺が多発していたのだから、その住人は「まさか…」と思ったのだろう。いっぽうで僕は現状を伝える言葉がスラスラと出て、不思議なことに落ち着いていられた。しかし残念ながら僕の記憶はそこまで。読み手からしたらつまらないだろう終わり方だろうが…

不幸中のさいわいに、第一発見者の僕は何事もなく無事だった。近隣の住民らもすぐ避難し、大事に至ることはなかった。

そのあとのできごと——避難やら防護服の救助隊の規模など——は、記憶だの何だのが理由ではなく、単に知ることがなく、何もわからないまま。しばらくカウンセリング?みたいなものに通ったらしい。「らしい」というのは、現場やそのあとしばらくのことのみならず、そのころの記憶があいまいだから。でもそれが正しいのだろうと思う。あいまいなままで良い。

硫化水素自殺に救済はない。

苦しくない?

お兄さんの歯を食いしばった形相が苦しんで逝った凄惨な最期だったことを語っていた。窒息死するまでのお兄さんのことはできれば考えたくない。それでもあのときの表情は、いくら記憶があいまいであったとて、多分今後いつまでも忘れられないと思う。

きれいな死に方ができる?

人間の肌としてあり得ない、惨たらしく変色した死体をうつくしいと思えるだろうか。また、企てた本人の問題だけではなく家族や他人を巻き込み、最悪の場合その人たちの命までをも奪う行為は、到底うつくしいとは思えない。

確実な方法?

どうしてそんなことが分かるのだろう。それをした人々は死んでしまったというのに。失敗して後遺症とこれから生きることになってしまった人たちにはスポットライトを当てず、完遂と未遂、それを相対的に見ていないからだと僕は思っている。所詮は素人が発生させた硫化水素で、易々と完遂できるのだろうか?そもそも確実な方法なんてない。5mほどの高さから落ちて死ぬこともあれば、鉄道に飛び込んだって四肢の欠損を抱えるという最悪の事態にしか終わらないことなんてザラにある。かくいう自分もそうだったわけで、結局は運。運なのだ。

死人に口なし。お兄さんの最期はお兄さんにしかわからない。そしてだれにもお兄さんの死を否定する資格はない。

ふと思う。もしかしたら、あのお兄さんはいつか来る日の僕なのかもしれないね。「救済はない」と言い切ったものの、何年後、何十年後、絶対に絶対に絶対にそれをしないなんてことは僕には分からない。生まれ変わりがあるかも分からない。もしあるとしてもヒトではないかもしれない。でも、どんな形でもいいから来世では、どうかしあわせでありますように。お兄さんもそうでありますように。