遺書と恋文

頭痛腹痛毘沙門天

日々の僕たちが褪せないように

僕らは時間を共有する。褪せるようにかがやくように。

手紙を書くのが好きだ。あと、そのための便箋選びや収集も楽しい。いつだったかそういうことを言ったら手紙なんて書く機会ないじゃんと返された。いや、僕はそうは思わない。いつ書いても、何を書いてもいいと思う。何もなくたって書いていいと思う。何もない日に渡したっていいと思う。

文章を書くのは割と嫌いじゃない。でないと収益の出ないこんなブログは始めていない。大きな理由はなくて、文章が書きたいなと思いつきで登録しただけだ。

恋人、そこそこ付き合いの長い友人、お世話になった教授や教師へ。ときどき、日記の感覚で読むかもしれないいつかの自分へ。家族には照れ臭くて小学生のときに国語の授業の課題で書いたきりだなあ…今も書きたいとは思わない。

安価だけど使いやすくてお気に入りのメーカー(ミツビシのシグノ・ゼブラのサラサ・ミツビシのジェットストリームが僕の三強だ。0.38とか0.28とか、字が大きいので、できれば細いほうが好き)のボールペンでつらつら綴る。綴る?そんな仰々しくもないか。

あなたのこういうところが好きだ、とか、あのとき行った場所は今こうなっているらしいよ、とか、それから最近知ったオススメのバンドの話とか。口頭で伝えたほうが早いようなことばかり書いている。

そんな内容なので、深く読まないでほしいし、そもそも深くなんて読めない。このブログに似ていて、まとめサイトより内容のない文章で便箋が埋まっていく。読むというよりも目を通してくれる程度で十分だ。何なら書くことも渡すことも自己満足だから、ものによっては読んでくれなくてもいい。でも結局、渡したひとたちはみんな読んでくれているのでやさしい。何だかんだ僕の言葉は僕の子供だから。手紙の書き方がわからなくて返事はかけないから…と感想を話してくれる。押し付けがましいので「手紙に書きかたなんてないよ。どう書いてもいよ」という言葉は飲み込む。

僕の手紙は日記みたいなものだ。

だったらノートにでも書けば?という話だけど、あくまで伝えたい相手がいてこその "日記"のような"手紙"なので。前後がちがう、逆じゃない。雑記というか、何か書きたい、残したい→テーマを探す、その流れでペンを執る。特別おもしろいものでもない。重要なメッセージでもない。けれどやっぱり僕の自己満足だし受け取る側もそれを分かっているから、それだけのこと。あ、でもたまに会話じゃなくてわざわざ手紙で返事をもらえるから、それはそれでとってもうれしい。専用の箱に入れて大切にとってある。

メールもLINEも電子書籍も便利だけど、アナログ好きの層は根強くいつまでも存在するだろう。デジタルばかりでアナログから遠のいてしまった人も、たまには手紙はどうだろう。人へ出すのが恥ずかしかったら自分へ書くのもいい。僕もたまにそうするのだけれど、いつか書いたときの気持ちと、読み返したときの気持ちのちがいに気付くと、また自分へ手紙を書いておこうかな…と、そんな風に思う。

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これは僕が何年か前に詠んだ短歌だ。つらくて、つらくてしんどくて、全部捨ててそこから逃げたくて、そんなときに自分へ手紙を書いたことがある。日記ではなく手紙を。それを思い出してもう一度封筒を開いたときにいろいろと思うところがあったので、そのことを短歌の形で残した。結構お気に入りの歌でもあるので載せた。

もっとあなたを知りたい。もっと僕を知ってほしい。文通しない?あなたに似合う便箋はどんなものかな。たいせつに書くね。僕たちの日々が褪せないように。