遺書と恋文

頭痛腹痛毘沙門天

タルト・タタンと炭酸水

「よい歌ができるときは、基となったメモをしたときに、少しこころが動いていたような気がしたのである」

 

フォロワーのYOSHIさん(@1927Nimomo )から贈られた竹内亮「タルト・タタンと炭酸水」

五七五七七の定型を崩さないで、日々の生活を写実的に詠んだ一冊だ。

白い空坂を登って橋の上並んで歩き声に出す「あの」

キャベツ色のスカートの人立ち止まり風の匂いの飲み物選ぶ

紫のさるすべり咲く公園の鳥小屋に住むつがいの孔雀

白い空、キャベツ色のスカート、紫のさるすべり

色彩があちらこちらに染み込んで、僕は目のなかをあざやかにした。たくさんの色が風景とともに浮かんでくる。まるでコラージュだ。

一方でおだやかとはいえない歌がある。

海沿いにサーフボードは並べられ墓標のように音もなく立つ

サーフィンは生と死のあいだにある、ときに命を落とすスポーツだ。「音もなく」並べられたサーフボードを墓標と呼ぶとき、しん、と静かな空気になるのを感じる。清々しさゆえのおそろしい歌だ。また、このような歌もある。

雲間から青酸カリの致死量のような雨滴が右頬を打つ

青酸カリの致死量。ごくごくわずかだとはいえ致死量だ。そんなものが雨として頭上から降ってきたら?そこにいる人々は?きっと次々に死に絶えてしまうだろう。

初めて手にした竹内氏の歌集だが、命を感じる歌も含めて、どれもうつくしい。死が下敷きにあるからこその瑞々しさなのだろう。

さいごに、二百二十三首のなかで涙ぐんだ一首をのこす。

アイスティーの上澄みに似た空を見て初めて君に気持ち伝える

こんな僕にだってそんな空があったのだ。