遺書と恋文

頭痛腹痛毘沙門天

滑走路

「生きているというより生き抜いている こころに雨の記憶を抱いて」


映画にもなった歌集「滑走路」。歌人、萩原慎一郎氏は32歳の若さで自ら命を絶った。中・高生の6年間いじめを受け、精神的な不調を抱えながら非正規での雇用。短歌に希望を見出したが、この歌集が彼の遺作となってしまった。

家にいるだけではだめだぼくたちは芭蕉のように旅人になれ

外へ、町へ、あの人のいる場所へ。家や部屋から出なければ見えないものはたくさんある。気付くこと。拾うもの。捨てるもの。救って救われて、僕らは生きている。そこにあるのは思い出、空気、匂い、言葉、空の色。ところで、書を捨てよ、町へ出ようという寺山修司による有名な作品があるが、書は捨てずに持っていこうよ、なんて、たまに思ってみたりもする。

真夜中の暗い部屋からこころからきみはもう一度走り出せばいい

閉ざしてしまったこころ。塞いでしまったのだろうか、傷付いてしまったのだろうか、はたまた壊してしまったのだろうか。それは自分のことかもしれないし、たいせつなひとのことかもしれない。でも諦めないでほしいという詠み人からのエール。諦めないで。止まらないで。ときに転ぶことがあったって、それでもあなたはどこへだって行けるんだからというエール。

叩け、叩け、吾がキーボード。放り出せ、悲しみ全部。放り出せ、歌。

あれでない、これでもないと彷徨える言葉探しの旅だ。歌作は

思いつくたびに紙片に書きつける言葉よ羽化の直前であれ

短歌を詠むというのはとても苦しい。それは同じく短歌をつくる僕も身をもってわかっている。ときに痛みを感じ、ときに気持ちがねじれてしまって。足がすくむことだってある。それでもやめられない。僕はその思いや傷を否定しないし、したくない。できない。それこそ身をもってわかっているから。その先にある言葉の海に、そして飛び立つ歌に、どうしたって期待を孕んでしまうことを知っているから。

かっこいいところをきみにみせたくて雪道をゆく掲載誌手に

かっこよくなりたいきみに愛されるようになりたいだから歌詠む

自分の武器は短歌だと胸を張って言わんばかりの歌たち。僕だってそう、その通りなのだ。想っている人の目に留まるようできることはひたすら歌を詠むこと。早く届けたい気持ちをやさしくやわらかくつつみ、胸の高鳴りを、興奮を、自身の気持ちが武器となったそれを形として載っている掲載誌を抱えて進む。雪道をざくざくざく、と歩いていくときのこころ。どうか愛されるために。格好良いと思われたいと、その一心で詠む。ねえ、あなたはどんな顔で僕を見つめてくれる?

叶わないことだが、10年後、20年後、どんな歌になっていくのだろうか読みたいと思えた歌集だった。

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