遺書と恋文

頭痛腹痛毘沙門天

解離性同一性障害

嘘つきと言わないでほしい。自分は自分であって自分じゃない自分を自分が認めるしかないから。

解離性同一性障害。聞いたことがある人もちらほらといるかもしれない。僕はそれを罹患していて、ときにはほかの病気などより厄介なものになり得て頭を抱える。

ざっくり言うと多重人格みたいなもので、怪奇小説として有名な「ジキルとハイド」を想像してもらえると分かりやすいと思う。いろいろある何かしらのきっかけで僕は僕じゃない僕になってしまう。それが自分の、「まぐ」という人間の意思でなくとも。

落ち着いている今でこそぱたりと周囲から何も聞かされていないけれど、最低でも3人いる(いた)ことは今のところはっきりと分かっている。彼らは僕と離れた場所にいながら僕から目を離さない。一方で僕は彼らの言葉さえ聞くことはできないというのに。何らかの方法でコミュニケーションがとれるなら尋ねてみたいことはいくらでもあるが、それができないのがもどかしい。

筋力も声色も嗜好も変わってしまう病気。

初めてこの病気を知るきっかけになったできごとが起きたのは23歳のときだ。先に書いた3人のうちの1人がひどい乱暴者で、恋人の腕に刃物で怪我を負わせた。

当時の恋人はちょっとしたことで手をあげたり怒鳴ったりする男だった。

その日、何が理由だったか忘れてしまうほど些末な理由で怒鳴られ、熱したフライパンを背中に押し当てようとされていた。今までになくおびえた。

暗転したような意識と視界からわっ、と気が付いたとき、深夜のはずなのにベランダの向こうがうすら明るくなっていた。数年経った今でも思い出せる。僕は手汗をかく右手でカッターを握っていて、目の前にいる男はもうしないから!しないから!と繰り返していた。何をと聞いても要領を得なくて、すこし苛立ちがあった。

部屋が荒れていた。驚いたのは椅子の足が折れているわ自分のノートパソコンの液晶がバキバキに割れているわということ。男はすべて僕がやったと言うし、腕から血を流しながら僕の態度をいぶかしんでいた。その血も僕がカッターを振り回してつけた傷のせいだと言うがあわてている男の話はほとんど理解できなかった。のちのち共通の知人からは筋膜が切れたんだったか一歩手前だったか、傷の深さを聞かされた。そんなこと知らない、と言えなくてその場は黙った。

それまで暴力も大きな怒声も甘んじていたけれど、僕は自分がしでかしたことを疑いながらもおそろしくなり、男とはこのできごとを最後に会うことをしなかった。もう一切関わりたくないと思われたのか警察沙汰になることはなかった。

多分、今思えば恋人からの続く暴力をきっかけに発症したのだと思う。怪我を負わせたその日を契機に異変はつぎつぎと続き、立つことさえつらくなるほどの睡魔を感じて眠ったと思うとそのたびきっかいなことばかり起きた。そのころの記憶はもう今の自分にほとんどない。記憶が当事者になれず、体だけが取り残されたからではと考えている。

趣味ではない色やデザインの服が増え始め、それに気付くと決まって現金で買ったことが分かるレシートも見つかった。メンバーの一人の名前さえ言えないほど興味のないアーティストのツアーグッズや吸わないメンソールのタバコ、自分の好みでないかおりの香水のアトマイザーなど身に覚えのないものがバッグから出てくるようにもなった。

大切な友人に殴りかかって迷惑をかけた。

人目を気にせず往来で泣き叫んで家族に恥ずかしい思いをさせた。

太ももに爪を立てて周りが止めるのを聞かず血が出るまで掻きむしった。

知らない、やっていないなんて主張は通じない。指をさしてお前がやった!とだれもが言う。でも本当に知らないんだと、それをどうかだれかに肯定してほしくて、そこで浮かんだのがかかりつけの精神科の医師だった。望んだ言動じゃないと理解してほしい。助けてほしい。苦しいと言わせてほしい。その一心でふだん最低限のことしか話さない僕が診察中に打ち明けると、話し終わったあとに医師から告げられた。

解離性同一性障害という病気があります」

医師からここ数ヶ月のめちゃくちゃな生活の原因が病気だと言われたとき「病気だから仕方ないことなんだ!」と勝手に救われた気持ちになって泣いた。ただ、だからといって自分がしたことが帳消しになるわけじゃないと我に返って医師に治療法を尋ねた。しかしきっぱりと、ありません、と。続けて言われたのはこれはこころの揺れが引き起こす病気だと。

抗不安薬などの薬でこころを安定させること、スイッチングといって人格が入れ替わることを引き起こすきっかけを知ること、そして引き起こさないためにそれらを避けること、いつか統合と呼ばれる人格の交代をしなくなる状態は来るということ、それらを聞かされた。

とは言えこころの不安定さが罹患に至る原因なら僕にこころがある以上どうしようもないじゃないかと思うところもあった。だれかに話せば演技や嘘だと嗤われているようで、また、打ち明けたところで治るものでもないしと口をつぐんだ。

病気である自分が悪いのだと自覚すれば許されるわけじゃない。でも現状、統合できているのではと思う反面にある本当にそう?思い込んでない?とちらつく考えをぼかすためには、せいぜい自覚することくらいしかできない。だれのせいにもできないし、そう容易に症状を閉じ込めることもできない。

またひとつ拾ってまたひとつ失って、道が終わるころ僕の手には何が残っているんだろう。もしかしたら拾ってきたものたちさえ、気が付いたときには手に残っていないかもしれない。いまだに頑として自分と向き合わないで生きている僕の行き着く先が、すこしでも明るいといいのに。