遺書と恋文

頭痛腹痛毘沙門天

声、あるいは音のような

「フラッシュバックに苛まれながら母の自殺について詠みました」

歌集、「声、あるいは音のような」の鑑賞文をブログに載せたことをきっかけに、歌集の作者である歌人・岸原さや氏とTwitter上で個人的にやりとりをするようになった。そしてそのやりとりのなか、この記事を読んだ岸原氏は冒頭のように話してくれた。

オルガンの和音をさがすでたらめな幼いゆびを母は咎め

ぽろん。オルガンを弾く幼い娘の指は和音のようにやわらかかった。それを見つめる母の目もまたやわらかく。手放しで娘を愛すること。だれも、ただしさもまちがいももとめない。しあわせであればそうでいい。せいかいもまちがいも抱きしめようとする歌。

あたたかいまだあたたかいから耳の奥へ声さし入れる、おかあさん

自殺だった。あたたかい。まだあたたかい。おかあさん。本当にかなしいのはだれ?本当に痛みを忘れられずにいるのはだれ?縋るように耳にくちびるを寄せる。おかあさん。もしあの日に待ち合わせの約束をしていたら。「声が聞きたくて」と、それだけで電話をしていたら。用もないのに会いにいっていたら。たらればなんて馬鹿みたいだけどそればかり浮かんだ。ただ、すくなくとも彼女の母の死を否定するわけではないことは強く言っておきたい。この歌でいつかの、もう会えないいつかの女の子を思い出した。

遺された者のさまよう深い森たぶんわたしも踏み入っている

おそらく僕は遺される側だろう。歌と同じく、深い深い森から彼ら・彼女らを見ている。見ていることしかできない。そしてぽつぽつといなくなってしまう。いなくなっては現れて、それは森から出て行った人たち。やはりぽつぽつと易く消えていく。一瞬でいい。なのに僕は森から出られない。本当は出たいのに、出してもらえない。恨めしく「遺された者」として見ているしかないのだ。

フラッシュバックに苦しむなかでそれらを詠んだこと。耐え、目を逸らさず、くちびるを噛んで血を流し拳を握りながら、そうして「短歌」という形に昇華したことに岸原氏へ敬意を払いたい。

僕たちは生きる、わらう、たべる、ねむる、へんにあかるい共同墓地で/ 岸原さや