遺書と恋文

頭痛腹痛毘沙門天

摂食障害

摂食障害を楽しんでいる、突き抜けて変わった女性と友人になった。

はじめに、僕は摂食障害をわずらったことがない。だが近いものだと高校生のときにウサギの餌のような昼食を食べたり、飴を舐めることまでも怖かったり。そんな時期があった。太りたくない気持ちが食欲を抑えた。

今思えばちょっと危なかったかもしれない。

しかし現在そんなことがないので、疾病として悩んでいることは一切ない。以下は当事者の話や行動について経験などを聞いただけであり、あくまで僕自身が思ったことを言及しているだけだということを先に記しておく。それ以上でも以下でもない。そうでないとあちらこちらに敵をつくってしまうので…

僕が今まで出会ってきた摂食障害の罹患者は、主に過食嘔吐を繰り返す患者が多かった。彼女たちはいつだって苦しんでいた。食べることへの罪悪感。吐くことへの罪悪感。それでも食べることも吐くこともやめられず、食べては吐いて、食べては吐いて…

そのたびに自己肯定感をボロボロにしていた。彼女たちは「楽しく食事がしたい」「吐かずにちゃんと吸収(吐かずに栄養やカロリーを摂ることを指す)したい」「食べ物に固執したくない」とくちぐちに話す。

痩せたいという気持ちは多くの人にあると思うけれど、そのいきすぎたものが摂食障害という疾病。ある種の自傷行為だ。泣きながら夜中に冷蔵庫を漁って、手当たりしだい口にしてしまうのだろうか。

しかし僕が知り合ったTさんという女性は今まで接してきた摂食障害の人びととあまりにもちがいすぎて。その行為を楽しんでいるのだ。

過食嘔吐はエンターテイメント!!」

きらきらしながらそんなこと言うのでつい笑ってしまった。面白い人だなあとは思ったけれど、それとは別の話。その主張が僕にはさっぱりわからなかった。先に書いたように、摂食障害を抱える人たちはそんな前向きなことを一度たりとて言わなかった。つらい。治したい。カロリーを気にせず楽しく食べたい。でも太りたくない。痩せたい、痩せたい。きれいになりたい。それが危険な行為だとしても。

Tさんの話では食べるところから始まり、吐くまでが一連の流れなんだとか。吐くまでがワンセット。ワンセット…?何を言っているんだ…?僕としては「帰るまでが遠足です」に通ずるものがあると感じた。というより無理やり納得させた。でないと視野は狭いままだ。

もちろん、彼女は何も初めから楽しんでいたわけじゃない。ダイエットをきっかけにエスカレートしてしまった結果の摂食障害。最初こそ「また吐いてしまった」と、大切な人との食事でそう思っていた。けれど何かの契機に考えが変わった。それがどんな契機だったということは彼女自身でも分からない。

嘔吐の仕方はさまざまだ。指を口の奥に入れる方法、腹筋吐きと呼ばれる名前の通り腹筋に力を入れる方法。なかでも彼女はハイリスクハイリターンのチューブというやり方で嘔吐している。

そのチューブ吐きのリスクというのはさまざまな形で表れる。

たとえば窒息。食べ物が逆流することでそれが気道に入ると窒息する。

また、胃などの内臓に穴が開く場合もある。安全な医療用のチューブではなく、素人がホームセンターなどで手に入るホースを使うと胃や食道を傷付ける。その結果穴が開くわけだ。チューブのリスクはまだほかにもある。

Tさんはそういったリスクを自覚しながら、メリット・リターンに縋り、日々過食と嘔吐をしている。

「おいしいものをいっぱい食べられるのに、でも太らない。これってすごく良いことでしょ?」

と、にこにこ笑って彼女は語った。なるほど。なるほど?まあけれど、病気というのは自分がその症状に困って初めて病気になるわけで。

ただ、困っているのはTさん自身の位置がどこにあるか。わけを聞けば「やっていることは病的だと思う。でもわたしはそれを治したいとかやめたいとか、そういうことは思わないんだよ」と。これは病気なのだろうか。それとも彼女の言う娯楽なのか。なるほど難しい話だ。

だが、エンターテイメント!当事者が能弁にそう言っているのなら僕はとめない。とめる必要がない。やめてほしいと思ったりそれを口に出したりするわけでもない。

今後、いつか彼女の病気が治りますようにとはまったく思っていないし、心配するという感情こそがそもそもTさんにとって煩わしいだろうからしない。だって食べることも吐くことも、最後まで楽しんでいるから。本人が一番それで良いと思っていることなんだから。

Tさんとの出会いによって、ああ、娯楽のように捉える人もいるんだな、と勉強させられた。デリケートな問題だと思いつつ筆を執ったのは、こんな風に考える人もいることが事実だと、それを罹患している人にそう伝えたかったからだ。伝えたかっただけだから、そこに肯定や否定の感情はない。

摂食障害、エンジョイ勢。彼女は今日も楽しく食べて見えない敵と戦いながら、今日もまた吐いていることだろう。結構なことだ。ただし後悔だけは、しませんように。