遺書と恋文

頭痛腹痛毘沙門天

夢を追った女の子の話 - 3 -

新入生としてやってきた彼女、Nさんはとても大人しい子で、出しゃばりな僕と正反対に自己主張のできない子だった。どう思う?と聞けばある程度の返事があるだけマシかなと思うくらいには。

彼女には秀でた文才があった。中原中也梨木香歩が好きな彼女。戦う分野が違えど、それがまた楽しく新鮮で、世界が広がるのを感じていた。Nさんと僕は部活動のほかで個人的に関わる機会が多くなった。

部活のときはもちろん、休み時間に「借りた本を返しに…」「この前おすすめした本なんですけど…」

何かにつけて後をついてくる彼女はとても愛らしかったし、懐いているということがよくわかったので、ほかの部員よりずっとNさんをかわいがった。贔屓とも言えた。僕が短歌を好きだと知れば熱心に勉強してくれたし、そしてそれを話題にしてくれた。僕の気持ちも彼女の気持ちも、それは恋慕に近いものを感じていた。

でも、そんなものはずっとは続かなかった。

僕が3年生のときだ。

いろいろなコンクールや文芸賞で賞を獲っては教師陣から「さすがだ」「将来が楽しみだ」

受賞するたび褒められていた僕は有頂天になっていた。ある日、Nさんは僕が出展するコンクールに、それも同じ部門に出展すると言った。そのときの僕は「まあ、彼女だったら佳作くらいなら。たしかにこの子の作品はとても秀抜だけど僕ほどではないし。それに僕は経験もある」

当時の僕をタコ殴りにしたい。甘かった。

僕は入選。

彼女は最優秀を獲った。

それも、専門ではないにしても僕が顧問やほかの教師、世間から評価されていた詩の部門で。

青春。僕の作品が若さと未熟さからくる生意気な青臭さだとするなら、彼女の作品は瑞々しく、純粋でまっすぐな強さのある透き通った青さだった。自己主張の苦手なNさんは、ことばの中でなら自由に腕を広げられる人だった。

また別の日だ。コンクールに出展した作品が賞を獲ったことを顧問に知らせるため、ウキウキと賞状と盾を手にして教員室に行ったのだが、そこで偶然Nさんと居合わせた。たまたま同じコンクールに出展していたらしい彼女は僕より上の賞を受賞したという。まただ。また負けた、また劣っていると突きつけられた。また彼女が離れていく。また僕は逃げていく。

今までの天狗になって満足していた成績や自分の態度、それらが大変に恥ずかしく、情けなくもあった。「すみません、先に呼ばれた先生のこと、うっかり忘れていました。またあとで伺います」。そう言って教員室をそそくさと出た。

廊下に出て即座にその主催の連絡先へ電話をかけた。辞退した。「ほかの文芸賞に出品した作品と重複していました」。嘘だ。めったにないことだが件のコンクールでは選者が公表されていて、その選者と選者の作品が好きだった。その選者に認められたわけだ。でも、辞退した。

 

醜いと思う。だけどすぐそばであざやかな花を咲かすだろう芽を摘みたかった。

ただの嫉妬だとわかっていても、僕より優れた同年代の生徒がごまんといても、これほど近くにいる感性豊かな彼女がうらやましくて、そして憎らしかった。そんな気持ちも露知らず、相変わらずNさんは僕のあとをついてきた。自分よりずっと文才のある彼女が。くやしかった。嘲笑っているんだろう?見下しているんだろう?そうだろう?なんていう被害妄想が止まらないまま時間は流れた。

 

僕が3年生、彼女は2年生の後期のときだ。Nさんは教師からの反対を押しのけて美大に進む道を選んだ。もともと絵画の才能と、その努力を怠らない才能のある子だった。反対する大人たち、Nさんの担任と学年の主任にそれから部活の顧問に「彼女の夢を遮らないで」「絶対にやり遂げるはずだから」「先生方もあの子の努力と才能を十分知ってるでしょ」何もできない、いまさら本人に懺悔もできない僕ができるのはそう懇願することだけだった。そんなものなくたって彼女は反対を押し切って自分を貫いただろう。僕が僕をゆるしたいから。ゆるされなくていい、僕は自分のために自分をゆるしたかった。どうしようもない、救いのない醜さ。

美大の試験にはクロッキーやデッサンだけでなく筆記試験もあり、国公立の大学と同じレベルの試験だと聞いた(部活の顧問から)。卒業した僕に勉強を教えて欲しいとのことで連絡が来たけれど断った。大学生としてあたらしい生活を始めたなかで彼女の顔を見ればまた思ってはいけない、思いたくない妬みや劣等感といった感情を抱きそうでこわかった。自分もNさんもきらいになりたくなかった。