遺書と恋文

頭痛腹痛毘沙門天

くちびるに添えたドレミと 1/2

大学4年生。僕らは学校や大学という「守ってくれる場所」を離れて社会に出る。ただ「守ってくれる場所」にいる間なら、大人たちはヒヨコを育てるように僕らを扱う。例外はあるが…(小・中学生のときの5年間のいじめを見て見ぬ振りする大人はいっぱいいたし、何なら中2のときの担任はそれに加担していた。最悪)

やや話が逸れたので軌道修正をしよう。

入学式に買ってもらったスーツとは別に、お財布が空っぽになるのを覚悟でビジネススーツを買った。

自宅に帰ってから、祖母の部屋の三面鏡で自分の全身をもう一度確認した。喪服のようだった。でものちのち思ったのは、喪服を着ているのは僕だけじゃない。当たり前だけれど。ぞろぞろと学内や道端では僕と同じような年齢の見た目をした人たちが喪服を着てあちこちにいた。

そうして始まった就職活動。

スケジュール帳のカレンダーには「〇〇 面接」「△△試験」「**説明会」と、今までバイトのシフトしか書いていなかったカレンダーにそれらが加わった。バイトと就活とサークルの、二足のわらじならぬ三足のわらじ。ちなみにパニック障害になったのはこのころで、また、医師に言わせれば「今思えばすでに躁うつを罹患していた」そうだ。心当たりがありすぎて、納得した。

サークル棟の部室では4年生が頭を抱えて、ESを書いていた。大学のテンプレのSもESではなく、企業が指定したものに苦戦した。もちろん僕も漏れなく。

忙しない毎日が続いて、ある日、入社試験があるというのに一向にスーツに着替えることができなくなった。カッターシャツのボタンをとめる手が止まった。着替えることができなかったのだ。三角座りをして嫌だ嫌だと思ってグズグズとしている間に家を出発する時間は迫っていく。

行けない。もう、無理だ。僕はスマホを取り出した。

「すみません。体調がすぐれないので、今日の試験は見送ります。申し訳ございません」

罪悪感と安堵と、もう分からないまま部屋着に着替えて布団にもぐった。泣きながら。

またある日、なんとかスーツに着替えることができたが、玄関まで行ったのに座り込んでしまった。立ち上がって家を出ることができなかった。また企業へ辞退の旨の連絡をした。

パニック障害がある。電車などにびくびくする。どうしても面接や試験に行けない。父に言った。

「父さん。就職浪人とかフリーターじゃダメかな…」

父はこちらに目をやらず、強い声を出した。

「四大に行かせたんだ。そんなの許せるわけがない」

母にも言った。

「母さん、僕、就活が苦しくて。それで」

話の途中で母は遮った。

「聞きたくない」

それだけだった。がらがらがら、と、何かが崩れた。それからは二度と就活の話をしなかった。

やり遂げなければ。なんとか着替えて、家を出ることもできて、駅まで行くことができた。ようし、今日は頑張るぞ。

しかし僕は目的地に向かう電車と反対の電車に乗った。頑張るぞ、の直後ぷつりと気持ちが切れたようだった。

もういいよ。もう無理だよ。

ESにウケのいいことばかり書いて、本当の僕なのか自分でさえ分からないことばかり書いて、嘘ではないけど言葉を変えて都合のいいことばかり書いて。面接のたびに前日から体調を崩して、それでも無理やり体とこころを引きずって、自分じゃない自分をつくって。そのときそばには幽霊がいる。僕にそっくりの、でも僕じゃない、実体を持たない幽霊が。