遺書と恋文

頭痛腹痛毘沙門天

夢を追った女の子の話 - 4 -

それからやりとりもないまま僕はNさんのことを特に考えることもなく、高校生のときよりすくなくなったものの大学生活をおくりながら作品を投稿するなどした。彼女もきっと受験に打ち込んで僕のことなんか忘れていたと思う。連絡は、あれきりだった。

 

ところが冬の終わりにNさんから連絡が来た。「大学受かりました!先輩のおかげです!ありがとうございます」

何もしてないよ。謙遜なんかじゃなく事実何もしていない。勉強を教えてほしいというのも断ったし、デッサンなんかの技術的な勉強も、機会はあったのに見届けはしなかった。そんなことをたとえ文面であろうと言える彼女はあいかわらずうつくしいままだった。

自分なりの勇気を出して「おめでとう!お祝いしよう。食事に行こう」と返信して、1年近くぶりに再会することになった。

久しぶりに会った彼女は長い髪をばっさり切っていた。それ以外は何も変わっていなかった。強いて言うなら自己主張は1年生のときよりもするようになっていたこと。すなおで、まっすぐでおだやかで、そういうものは何も揺らがないままいた。何だかもうそれまでの呪いのような僕のなかの蟠りは、食事をしながら話をしているうちにふと消えていた。純粋に会話を楽しんだ。

「これで受験も一段落しましたし、絵とかやりながら、また詩とかもつくります」「そっか、いいねいいね、自分もせっかく時間ができたんだから見習うよ。歌、いっぱい詠むよ」

(あ、しまった)と、一瞬呼吸の仕方がわからなくなった。

また文芸を再開するという発言。ふと、高校時代の、がんじがらめのチクリと胸を刺す感情がまた湧き上がった。最低だ。もういやだ帰りたい。

そのとき彼女がへへへ、とはにかみながら言った。

「わたしが部活見学に行って入部を決めたのは先輩の作品を読んだからなんですよ。短歌も詩も俳句もいろいろできる人なんだなって思いました。でも先輩が1年生のときに書いた小説が一番すきかもしれません」

小説?1年生の?書いたっけ?人物設定とかそもそも名前さえキャラクターにつけられないのにそんなのあったっけ?そんな僕を見て察したNさんは照れ笑いをした。

「あれですよ。線路を歩いてビルに行く!わたしが知ってる作品で唯一の先輩の小説!」

 

そこでやっと思い出した。登場人物はたった2人だけ。真夜中の線路をその2人が歩いて、眠らない都会でひっそりと死んだように息をする廃ビルに希望を持ってひたすら目指す。1人は夢を捨てかけて、もう1人は夢を拾いかけて、でも廃ビルには何もなくて。見えたのは朝焼け。どちらにも自己投影しながら書いた覚えがある短編だった。

それが最初で最後の小説で、やっぱり向いてないなと改めて思ったしもう小説は書かなかった。

出来の悪い、拙い文章と展開のその小説をすきだと言ってくれた。何と言えばいいのか今もわからないが込み上げるものがあった。何より後悔した。そんな風に思ってくれた、伝えくれた彼女を蔑ろにしてしまったことを。

 

それから次に会ったのはNさんと同じ大学の友人が二人展をしたときだった。DMが届いて、添えられた絵本の挿し絵のような絵は高校生のときに見たものより上達していた。そしてその際に読ませてもらった彼女の分野である詩もやっぱり豊かで、それでいて瑞々しさは失わずにいて、なんだか泣いてしまった。もう彼女は僕のあとを追わず、追いつくどころか追い抜いていた。嫉妬することはなかった。尊敬した。ありがとうと言うと、Nさんは首を傾げていたけれど、意味は分からなくたっていい。

一応まだ短歌だけは続けている。下手でも評価されなくても、中高生のときの青臭ささえ取り戻せなくなっていても。だってまだ短歌がすきだから。読むことも詠むこともやめられることが今は想像できない。あのころから多くが変わってしまった僕の唯一変わらないものだと思う。

その二人展のあと、数回グループ展や個展にも顔を出したけれど、彼女のなかの僕が変わってほしくないという気持ちから罹患してもう数年会えずにいる。いまさら連絡を取ろうという気はない。彼女のなかの僕はいつまでもあのときの僕であってほしい。

 

あの子の夢は叶ったかな。文字のなかで、絵のなかで、たくさんの世界をつくっているのかな。その世界でどれだけの人が救われたのだろう。どれだけの人が呼吸を忘れられずにすんだろう。彼女がすきだと言ってくれた小説の「夢を拾った」あの人物はあなただった。僕はまだ短歌を続けているよ。それなりに過ごしている。手紙の返事を出せないままでごめん。どうかあなたがしあわせでありますように。