遺書と恋文

頭痛腹痛毘沙門天

木曜日

フォロワー(@deotikan)から贈られた盛田志保子「木曜日」を読んだ。彼女の歌集を手にしたのは初めてだ。

傷口を瘡でふさがれ体内を行き場のない詩が循環している

やさしさもかなしさもどれもある種の痛み。痛みを感じて、そのとき生まれた詩が、言葉が、笑顔が、涙が、からだのなかでぐるぐるとめぐっていく。とどめておいて構わない。それがやがていつか毒として逃げ場のない体内を蝕んでいくとしても。

自転車に乗るのは風に飛ばされてみたいから横殴りの恋よ

風に飛ばされるような恋、たまにはそんな恋でもいいじゃないか。横殴りに叩きつけられても痛くても、まっすぐに進めなくても。甘いばかりの、やさしいばかりの、やわらかいばかりの恋じゃなくたっていい。そう思える歌。

紅茶の葉底をつかない瓶のことふたりにはこわいものなんてない

しゅんしゅんとお湯を沸かす。紅茶を淹れる。それをふうふうのむふたり。そんな今日がある。明日がある。その先もある。信じて疑わない。だってふたりにこわいものなんてないのだ。茶葉が底をつくと思わないほどおろかに。

今を割り今をかじるとこんな血があふれるだろう砂漠のざくろ

今を苦しく生きている。しかしそれは生命力があるからこそだ。その今を割り、感じてみるとき、そこにはぽたぽたと血があふれるのだろう。砂漠のように乾ききった場所であふれる石榴の果汁。痛い。でもそれさえ今は貴重な水分だ。たいせつに舐めとる。


新版では「卓上カレンダー」の三十六首が加わっている。さて詠もうというのではなくほろりと生活からこぼれたような歌が多く、春から夏へ、夏から、と、手のなかで流れていった。どんな痛みだろうと肯定してくれるような一冊。