遺書と恋文

頭痛腹痛毘沙門天

笑っていてね

中学1年生の春休み、僕はネットで知り合った人と会うことになった。

以前の記事で書いたように僕はあまり学校へ行かなくなっていて、そんな日はガラケーで撮った空の写真とそれに添えてある中身のないポエムで埋まるブログをひたすら徘徊していた。どうと面白くも、ネタにもならないような「イマソラ」写真を見ては、みんなして自分の感受性をアピールするのに必死なんだなと思いながらクリックとスクロールだけを繰り返していた。そんなしょうもないブログを漁るくらいには青春と呼ばれる時期を持て余していた。

そんななかでふと目に入ったブログ記事は僕の理想の文章だった。僕は淡白な文章が書きたい。けれど、今も昔もいらない修飾語を遣ってしまう。その人の言葉選びに惹かれた。そしてシンプルな文章のなかに日常的な奥行きのある物語を綴られることが羨ましかった。

ふむ、と見ていると、ブログのプロフィールに個人サイトのURLがあった。マイナーな作品ではあったが、当時の僕の情熱と青春を捧げた作品のサイトを通じて、その人とメルフォで会話していた。そこからそのうちメールアドレスを交換するまでになり、たまに届くメールに逐一よろこんだ。ブログ兼サイトの主は女性で、文章とは裏腹にメールでは饒舌な子だった。絵文字や顔文字もたくさん使っていた。僕はと言うと、なんだか恥ずかしくて)^o^(とか(T_T)しか使えなかった。

彼女は専門学生で、演劇を学んでいるそうだ。公演があるたび画像をくれたし、友達とのプリクラも見せてくれた。僕は自分のことをほぼ一切話さなかったのに。「これがわたし」と教えてくれた彼女はハムスターのような愛らしさで、目をはじめとした全てのパーツが大きい、年齢の割に幼い顔つきの女性だった。

ちなみに僕は「高校生?」と聞かれたので、馬鹿正直に「中学1年生」とは言わず「高校は卒業しているけどまだ未成年」ということにした。4-5歳上の兄のところからそっと借りていた音楽がちょうど彼女の趣味にヒットしたのがうれしかった。少し近付けた気がした。

やりとりを始めて1年近く経った頃、住んでいる地域が分かった途端、彼女は僕に会いたいと言ってくれた。近いみたいだ。年齢を詐称していたことがバレてしまうことを覚悟した上で僕はそれを快諾した。一度、液晶越しじゃない彼女に僕も会ってみたかった。

〜〜時に〇〇駅の△△前ね、と2人の中間地点になる大きな駅で集まる約束をした。僕は当時お気に入りだったチャンピオンのパーカーを着て、靴は買ったばかりのVansにした。先に服装を伝えてしまうとそのまま帰られてしまうかもしれないという不安があったので、彼女が到着してからどんな格好をしているかと特徴をメールすることにした。

少し早く着いてしまったとはいえ、約束の時間を過ぎてもなかなか彼女から連絡はなかった。

何かあったのだろうか?

(知る限りの彼女はそんな性格とは思えないけど)ブッチされたとか?

ドタキャンかも?

遅れてでも来てくれるなら待とうと、僕は近くのカフェに入った。カフェラテを飲み始めてすぐ彼女からメールが来た。僕は飛び付いてメールボックスを開くと、自殺をほのめかす内容と、踏切の画像が添付してあった。

「遅くなってもいいから待ってるよ」とだけ返信して携帯電話を閉じた。心配するような文言やそれに至る経緯を聞くために寄り添うのは違った気がした。それから彼女からの返信はなかった。3時間ほどカフェで過ごし、もう1-2時間ほどあたりをうろついた。陽は落ちて夕方になっていた。「ごめん。帰る。また別日に会おうね」と帰りの電車のなかで送った。返信はなかった。その翌日も、翌々日も。ブログやサイトの更新も止まった。

僕はこの件で改めてネットで繋がる人間との関係の希薄さを思い出した。これが顔も本名も身分も知らない人間と関わることだと。サイトのメルフォを介さず、下手に個人的に連絡を取り合ってしまったのでそれをすっかり忘れていた。僕は彼女の安否さえ知る手段がない。その日のその時間帯で起きた人身事故を調べればわかるけど、そういうことじゃない。

もし、もしだけど、待ち合わせの時間が少し違えば。自殺企図は衝動的にくるものであり、もし30分早く、30分遅く、待ち合わせの時間が違ったら、少なくともその日いちにちを彼女は生きていたかもしれない。いつか結果的には自ら死を選ぶ日が来るとしても。

 

今、彼女は生きているだろうか。名前を変えてネットのどこかにいるだろうか。ブラック・ジャック並みの整形を施したような全くの別人としてたゆたっているのだろうか。不思議な文章を書き演劇で食べていくことが夢の女の子は。

 

 

という夢の話。そう、夢だ、夢なんだ。だから早く忘れなきゃ。こんな夢はもう二度と見たくない。