遺書と恋文

頭痛腹痛毘沙門天

夢を追った女の子の話 - 1 -

あの子のことを思い出すと僕はまた17歳になる。

 

高校に進学して入部したのが文芸同好会だった。もともと入部する気だったけれど興味本位で見学に行った部活も"そのときは"魅力的に思えて掛け持ちすることにした。ひとつは理系科目をひたすら研究する部。そしてもうひとつが文芸同好会。当時の文芸"同好会"は部員が僕を合わせてたった3人(便宜上、同好会より部活といった方が都合がいいので以下そう書いていく)(この同好会は全盛期でさえ部に昇格するための第一条件である部員数に満ていない)(僕が卒業した翌年にやっと部へと昇格した)(くやしい)。

口数の少ない同級生がひとりと、同じく口数の少ない3年生の部長。その部長の頼りなさに大なり小なり苛立ちと不安があり、目立ちたがりの僕は図々しくも部長になりたいと志願して、顧問と本人からの承諾を得た僕が部長に代わった。部長はあくまで最上級生だから、というだけで本当はやりたくなかったらしい。だろうなと思った。でも先輩の小説と詩は良い意味で年齢不相応だったし実際評価されていたので、ある意味物書きに向いていた。

それからの活動は僕の自由になった。やりたいことをどんどん提案できて、それが認められて、また作品までのこせて。満足だった。消極的な先輩と同級生が、ただの勘違いかもしれないけれど意見を言ってくれるようになったのもうれしかった。執筆etc.は各々の活動であって個人戦なわけだけれど、部室さえない僕たちは図書室にてオノマトペでことば遊びをしたり、リレー小説を即興で書いたりなどして、コミュニケーションを目的に週に一度集まった。

中学校にはなかった文芸部はとてもとても新鮮で、まったくの初心者だった僕に次々と新しい世界を与えてくれた。小学生の2年間と中学生の3年間、いじめを経験した僕は同じ学区の生徒がいないできるだけ遠くの高校に進学したくて、その高校に文芸部があるというのも理由だったが、今でもそれについて本当に正しい選択だったと思える。

技法も作品も、歌人に詩人に俳人に、図書室の本やインターネットからだけじゃわからないものを多く知りたくてたまらなかった。それから顧問である国語教師から教えてもらえる知識や助言も僕にとっての糧になった。楽しかった。面白かった。いくらでも吸収したいし、もっともっと文芸作品を好きになりたかった。