遺書と恋文

頭痛腹痛毘沙門天

拝啓

何かのインタビューだったかで読んだ。THE BLUE HEARTSのボーカルの甲本ヒロトが学校に居場所のない子どもについて言及していたこと。

「居場所ならそこに席があるだろ。たまたま近所に生まれて、たまたま年齢が同じ子どもが部屋に集められたのが学校のクラス。電車の車両で、そこに居合わせた全員と仲良くなれと言われたって友達なんかじゃないんだから無理なことだ」

うろ覚えだけど、そんなコメントを残した。

 

小学5年生から中学3年生までの5年間、僕はいじめを経験した。中学校に上がれば他の小学校から4校集まるので、きっと鎮火するだろうとそれを希望に小学生時代の2年間を我慢した。事実、小学生のときの主犯たちはもう僕のことなど眼中になかった。彼らは新しい友達に初めての部活にと新しい環境を謳歌していた。

しかし進学してすぐ、4月の時点で他の小学校の生徒からいじめに遭うことになる。どんなものかというと“いじめ”と聞いて想像するようなよくあるものだ。

便所ブラシを食べさせられた。トイレに立つと机に入れておいたペンケースが空っぽで、教室のあちこちに隠されているからそれを授業と授業のあいだにある休憩時間いっぱいまで探した。朝登校すると、机の上に黒板消しをはたいたようなチョークの粉が舞っていた。バケツでかけたんだろうと思うけど、自分の席が水浸しだったこともある。机そのものがなくなったときはさすがに狼狽えた。その頃から僕は離席するたび通学カバンを持ち歩くようになった。内弁慶で、外では小心者な僕はそのことを笑われようと足を引っ掛けられてその姿で転ぼうと何も言えなかった。

翌年度のクラス替えで主犯たちメンバーとクラスが被らなかったことに安堵していた矢先だ。多分、中学2年生のときが僕にとっては精神的に来るものがある苛烈な1年間になった。そこそこ友達もできて、周りの生徒も属するグループが固まってきたころ。僕は風邪で学校を欠席した。

翌日「おはよう」といつも通り挨拶をして教室に入ると、誰一人として反応しない。聞こえなかったかな?くらいにしか思わなかった。ちがった。1日休んでいる間、僕の知らないところで何かあったようだ。その“何か”は未だに知らないし、未だに心当たりはない。いじめなんてそんなものだ。多分。

 

僕は空気だった。空気でありながら病原菌だった。病原菌でありながら言葉の通じない異国の人間だった。

 

当時の担任までが加担していたいじめだったけれど、持ち物がなくなるより、それらが盗まれたと分かった上で言われる忘れ物が多いだ何だと担任のネチネチした小言より、グループワークや体育の「二人組をつくって」という言葉より、仲良くしていたはずの旧友の反応が何より悲しくて悲しくてつらくて、多感な時期にいた僕を死にたくさせた。

その反応というのは、ふと廊下で彼と肩が当たってしまったときのことだ。僕は「ごめん」と軽く頭を下げたが、彼は目も合わせずそそくさと気まずそうに何の言葉もなく去っていった。形容し難いけれど、あのときの彼の表情はまだ忘れられないでいる。僕と会話することでさえ自分に危害が及ぶからだとすぐに分かった。分かったけれど、理解はしていても、つらい気持ちに変わりはなかった。今まで何をされたって気付かない振りをしていた僕だったが、その日初めて体調不良を理由に早退した。

それからはぽつぽつと欠席や遅刻、早退が目立った。登校しても保健室で1時間だけ横になって午前のうちに帰るのも当たり前になっていた。父親は仮病だとブツブツ言ったものの母親は理由を聞かずにいてくれたのが唯一の救いだったが、他人にきらわれているからなんて情けなくて申し訳なくて言えなかった。ちなみに母が当時の欠席などの理由を知ったのはまだ数年前のことだ。泣かれた。

卒業まで何があったかはあまり思い出せない。せいぜい家を出ても近所の公園で警察官に見つからないよう警戒しつつブランコを漕いでいたことや同じ中学の同級生がいない塾にだけは行ったこと、ネットに入り浸っていたことくらいだ。すっかり趣味になってしまった短歌にのめりこんだのもその時期だった。救いがほしかったのだと思う。

高校はバス通学をして、地元から少し離れたところを選んだ。同級生は僅かながらいたものの、小学校から中学校へ進学したときと同じようにそれぞれの生活ができあがっていったので、当時ほかのクラスにまで尾ヒレのついた噂が広まっていてたくさんの生徒から避けられていたことも何の問題はなかった。それから3年間、友達ができて恋愛をして、部活に励み大学受験を経て進学した。

僕はもう彼らを憎んでいない。憎んではいないけれど忘れない。忘れてなんかやらない。その傷跡は僕が生きた証にさえなっているから。何事もなければおそらくこれから何十年と生きなければいけないわけだけど、きっとこれから先も忘れはしないだろう。昔のことをずっと根に持っていることは「ダサい」し「格好悪い」けど、僕にできる唯一の復讐だ。いつまでも僕に呪われればいい。存在そのものを馬鹿にしてコケにして、時間や気力をふんだくった僕に呪われればいい。

今すぐに死ねなんて言わない。最低限の生活水準で、苦しみながらギリギリをもがいて生きてくれ。そして僕はそんな彼らに縛られながらもしあわせになってやる。絶対に。拝啓、あのころの同級生たちへ。