遺書と恋文

頭痛腹痛毘沙門天

性別

セクシャルマイノリティと聞くようになってだいぶ経つ近ごろだが、LGBTの権利(ゲイとレズビアンの権利などとも呼ばれる)を主張する派手なデモ活動だの法改正をと声を大きくするだのでああだこうだとあまり騒がないでいてほしいと思っている。

僕はおそらく当事者で、どうやら両性愛者らしい。それを踏まえてだ。理解なんて求めていない。とにかく放っておいてほしい。

自分の恋愛対象が広いのかもと感じたのは大学生のときだ。異性からの告白には(申し訳ないが)どれもピンとくるものはなかったくせに、3年生の夏から無意識に同性の後輩がよく目に入るようになった。いろいろあって振られたけど。

同性と付き合ったのはたったの2人。どちらもなかなかクセが強かった。詳しくは書けないけれどひと癖もふた癖もあった人たちだったなあと今、当時を振り返っている。それでも惚れたほうの負けで、結局振り回されて終わってしまったが…

書類上の性別、性自認性的嗜好などいろいろあるけれど、未だに僕は何者か、何に属するか分からないままだ。しかし日々、違和を感じて生きている以上あちらこちらをちぐはぐに過ごしている。

その点インターネットは都合がいい。興味本位で性別を聞いてくる人は基本的にいない。厳密に言えば、いるにはいるが、聞かれたとしても「どっちでしょうなあ」と言えば「そっか」で終わる程度なので。僕はインターネットのなかでなら自由に「まぐ」としてやっていける。そこには僕を糾弾する人間はいない。まぐはまぐであってゆるされるのだ。それで十分だから、もう、放っておいてくれ。

デモ活動などに関わる彼らは人権がほしいと訴えるとともに、所属欲を満たしたいのだと思う。ただ言えるのは、本人やその家族が当事者じゃなければだいたいの人はセクシャルに関して無関心であること。昔(30年近く前の話?)に比べて寛容になったし、否定すればハラスメントになるし。隠すものではなくなったのだからそれでは駄目なのだろうか?自身が結婚を重きに置いていないからそんなことが言えるのだろうか?まあこれは個人の価値観によるものなのかな。さいわい僕が今までジェンダーにまつわることで社会からの理不尽さを感じなかったからこう言えるだけかもしれない。

というわけで僕は自分を当事者としてもいいなら、お願いだ、放っておいてくれと切に思う。

求めているのは理解や権利なんかじゃない。ただただ、負い目を感じず性別が言えるようになりたい。