遺書と恋文

頭痛腹痛毘沙門天

夢を追った女の子の話 - 2 -

ところで。もうひとつの部活、化学部では毛色が合わず顧問の推薦で一年生のうちに部長になった。けれどあまり顔を出さなかった。それでもまわる程度の部活だったなら、今思えばもっと熱意のある生徒に初めからなってもらうべきだったのかもしれない。結局手放した肩書きだし。ただ、そちらのジャンルに向き合っていたのならもっと広い視野で文芸にいかせたかもしれないという思いは残る。宮沢賢治などのように。

リーダーシップカッコワライを発揮して部員10名に満たない部を口からの出まかせに任せて入部から半年ちょっとで40人に増やした。そういうのは得意だった。詐欺師以外で活かせる職業があったら教えてください。

それでも葉っぱの厚さだかバーンタイムによるなんだかを研究して部として獲った賞も、せいぜい顧問の教師の評判を上げるものでしかなかった。それが顧問の狙いだったのだろう。期待されていたのは部員としての活躍より、新入部員を増やすことや会話をするのが苦手な部員をまとめることに健闘することだったっぽいね。理解したとき、すこし肩を落とした。

そもそも畑が違う。向いていない。そう自分で認めたらとても楽になった。肩書きを手放したし、研究に興味を持たずとも仕方がないことだと。そんな僕はメダカを育てたり、カルメ焼きを作ったり、なぜかポップコーンを作る機械があったので大量に作ってみんなとおやつにしたり。蛇足だがビーカーをグラスにするのはおすすめしない。

というわけで勉強と委員会と、放課後の友達とのバカな遊びに時間を費やしながらもあくまで掛け持ちの「サブ」として入部した文芸部で熱心に取り組んだ。意地の悪いクラスメイトからは「ポエム?(笑)芥川とかになっちゃうの?(笑)」とか言われたけど(芥川は違うだろ)、そんなからかいなんて気にならないくらい没頭した。

そして僕が2年生へ進級したとき彼女と出会う。